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  • コラム:出遭いが育てる力 弘法大師空海

    出遭いが育てる力 弘法大師空海

    代表のメッセージ 2025年12月1日掲載

    今年最後のコラムは、弘法大師空海(*後述は弘法大師様)について触れたいと思います。この1年、私は弘法大師様が深く関わった高野山、東寺、高雄山、そして、高野山の素晴らしい方との大変有り難いご縁をいただき、学ばせていただきました。私などが弘法大師様について触れさせていただくことは大変恐れ多いことです。しかし、ここで敢えてお伝えすることで、素晴らしい教育者でもある弘法大師様に関連することを今一度お考えいただくきっかけにつながればと考え、書かせていただきます。

    高野山は平安初期、弘法大師様が真言密教の修行場として開創した山上の宗教都市で、金剛峯寺や奥之院を中心に深い修行と長い歴史を持ちます。荘厳な杉並木や多くの寺院・宿坊が残り、信仰と観光が共存する場となっています。国籍や宗教を問わず世界中の人々が訪れる観光地ともなっており、高野山の年間来訪者は約140万人規模に達しています。私が訪問させていただいた時は、宿坊でフランス、オランダ、ポルトガル、イタリア、ドイツ、アルゼンチン、ベルギー、キプロスの観光客と一緒に食事の機会をいただきました。

    これまでの生活の中で、私たちは本当にたくさんの人と出会ってきています。その一つひとつは何気ないように見えますが、振り返ると「あの出会いがあったからこそ今の自分がいる」と気づくことがあります。私自身、正に同様に感じています。

    今から約1200年前、弘法大師様に人生を大きく動かす出会いがありました。それが、密教を深く究めていた恵果和尚との出会いです。上述のように、世界からもたくさんの方が訪れるようになっている高野山は、弘法大師様と恵果和尚の出会いがなければ、間違いなく現在の形では存在していません。

    当時、密教の教えは誰にでも伝えられるものではなく、師が弟子を厳しく選ぶ世界でした。

    恵果和尚は、弘法大師様と会った瞬間、「ずっとあなたを待っていた」と語り、自分が積み上げてきた教えの全てを惜しみなく伝えたといわれています。

    「冒地の得難きには非ず、此の法に遭うことの易からざる也。」
    (覚りを得ることはそれほど難しいものではない。それよりもこの法(密教=恵果和尚)と出遭うことのほうが難しいことだ)

    弘法大師様は、高僧である恵果和尚を通じて密教に出会えたということに比べたら、もう自分が覚りに行けるかどうかは関係ないと述べています。それぐらい、恵果和尚と出遭えたことの方がどれだけ素晴らしいことか、と。

    恵果和尚は、全てのことを弘法大師様に授け終えた後、同年12月にお亡くなりになりました。

    学びの場である塾でも、同じような「出会いの力」が生まれます。

    一緒に勉強する仲間、日々の授業で出会う先生たち。そうした関わりが積み重なって、生徒たちの中に少しずつ勇気や自信が育っていきます。

    「塾で普段通う学校とは違うこの友達と出会えたから頑張れた」

    「塾の先生のあの言葉がずっと心に残っている」

    そんな経験は、大人になってからも支えになることがあります。

    私自身も塾でお世話になった先生の言葉、その時の風景を今でも鮮明に覚えていて、とても大切なものです。

    私たちが塾という場所、私塾を大切にしたいと思うのは、学力だけではなく、こうした「出会いの芽」が自然に育つ場所でありたいからです。毎日のその時は小さい、些細なことと思えるようなやり取りが、生徒一人ひとりの未来につながっていくと信じているのです。

    弘法大師様は、以下のお言葉も残しています。

    「物の興廃は必ず人に由る。人の昇沈は定めて道に在り」
    (世の中のものごとが栄えるか衰えるかは、人の心と行いによる)

    弘法大師様は、京都・東寺の近くに日本初の「身分を問わない教育機関」である綜芸種智院を開設し、若者のために上記の言葉を実践しようとしました。

    私たちも生徒一人ひとりの可能性を伸ばすべく、誠心誠意取り組んで参ります。

    参考文献
    松長有慶『空海』(岩波新書)
    松長有慶『高野山』(岩波新書)
    松長有慶『密教』(岩波新書)
    『インタビュー(2020年2月号)飛鷹全隆大僧正』(ナレーション)
    『インタビュー(2022年2月号)飛鷹全隆大僧正』(ナレーション)

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